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朝、9時頃名古屋を出発する。途中1名を乗せて合計4名となる。建築ジャーナルの大宇根さん、友八工務店の植田さん、里正義さんと私―松岡の計4名である。
一宮のインターチェンジから高山方面に進路をとる。木曽川を渡ると間近に山々が迫ってくる。初めの頃は山は深緑の単色であったが、やがて、枯れ葉色や黄色、赤などが混ざってにぎやかな配色となる。郡上を過ぎ、白鳥を過ぎると高速道路も高所を走るようになり、高い山々が間近に迫ってくる。日本のほぼ中央の山間部を走るこの道路はこれ以上高いところは何もないような、足元をすくわれそうな孤立感や一種の寂しさみたいなものをふと感じさせる。この辺りでは深緑の樹木は少なくなり赤、黄、ベージュを配色したカラフルな絨毯を山々に掛け渡したような、少し幻想的な風景になっている。立山が見たくて首を回してみるが視界に入ってこない。きっと真後ろなのだろうと思う。
清見のインターで高速道路を降りるが、予定の午後1時半にはまだ随分時間があるので柏木工に寄ることにする。柏木工ではショールームと工場のうち無垢材のテーブルの工程と曲げ木の工程を見学する。見学後休む間もなく移動する。昼食を簡単に済ませ、目的地の清見村に向かう。20分くらいの距離である。
棟梁の家拝見
行き先は清見村の大工である、洞垣内(ホラガイトと読む)さんの家である。また、その後に彼が最近増改築を完了させた新家宅を訪問することになっている。洞垣内さんはこの土地・清見の大工で、2代目のようである。息子さんも大工のようで、跡取りのある珍しい大工である。
9月の初旬に新家さんの家の 工事現場に飛び込んだとき、最初に会ったがこの洞垣内さんである。どこか人懐こく、少し華奢で、初めは棟梁とは思えなくて話をしていたが、彼の自宅に伺って名刺をもらって初めて棟梁とわかったくらいだ。今日は話していけばもう少し彼の事がわかると思って楽しみにもしていた。電話をすると彼は家の外まで出て迎えてくれた。
彼の家は10年前に新築したそうだが、実に高山の民家らしくおおらかな造りである。130坪もあるという自宅は畑やたんぼの中の民家が点在する一角に、存在感のあるたたずまいで建っている。
庇の出は7尺、壁はしっくいの黒、新壁造りである。玄関回りには、飢饉に備えて蓄えてあった奥さんの実家から調達したという栗の木の一枚板の羽目板で腰張りがしてある。幅は3尺のこれには彫り物がしてある。日本にはもうこれだけの栗の木は何本もないのではと思われるものである。
4人で客間である座敷と坊さんの休憩室、玄関の間を拝見して、一同使ってある材料の良さに感嘆した後にこの建物の構造を拝見すべく屋根裏部屋へと上がる。2階の東の一室が孫の遊び部屋になっていて遊具が置かれているが、天井は張っていなくて垂木、母屋、小屋、梁などは全て見え、構造を全部見ることができる。部屋が広いから部材の太さがさほどでもないようだが、よく見ると相当太い部材が使ってある。特に垂木のサイズはさることながら感覚が尺ピッチであること、深い庇を支えるために軒先で垂木が2重になり下の垂木を跳ね出した腕木の上に桁を置いて支えていることである。この地方では風は吹かないものの積雪は1.5メートルほどになり、雪を落として雪かきの手間を省くか、雪を乗せたまま春を迎えるかの選択をしているのである。屋根勾配を確認しようと思って忘れてしまったのは残念だが、下から見るとグライダーのような大きな屋根を乗せて、しっかりとした構造の重量
感のあるたたずまいに安心感のある安らぎに包まれている感じがする。
新家宅・・・このプロポーションの良さは世界にも類がない
次に、洞垣内さんの近作である新家さん宅に向かう。ここは築100年の民家と言うことだが、前述したように増築をしたばかりの家である。洞垣内さんの案内で玄関の中に入る。前回来たときは外から中を少し覗いただけで中の詳細まではよくわからなかった。黒い煤けた梁・柱があることはわかっていたが、今回はそれがはっきりした。中に入ってみると煤けて黒くなっているのではなく、黒光りしているのである。玄関と玄関の間、広間(居間)と座敷(8畳2間)は昔のままで囲炉裏のあった昔の土間(現玄関、玄関の間)と囲炉裏の間は昔は毎日掃除し、柱・梁をクルミの油で磨いたそうで黒光りしているのだそうだ。ずいぶん昔に見た高山の日下部邸のそれより黒く光っている。よく手入れしたのだろうと思った。増築した部分を今回の見学の付録であるかのように拝見して、やはり構造が気になり屋根裏部屋があれば拝見したいとお願いすると、気持ちよくお許しが出た。昔の養蚕部屋である。急な階段を上ると立ちのやや低い2階となる。他にも2〜3部屋はあったが養蚕部屋の構造が見たくて直行した。
昔の養蚕部屋は今では家財道具置き場と野菜置き場で足の踏み場もなく、暗くて立って移動するのが大変なくらいだ。暗闇で地窓の明かりを頼りに目を凝らしてこの家の構造を見る。
単純に和小屋ではない。養蚕部屋であるためには柱が少ない方がよいのは確かで、一部丸太の登り梁で構成されている。この階には他に部屋があることから登り梁構造と和小屋の併用構造なのだ。垂木、母屋、登り梁柱は煤けて黒く、ここは黒光りはしていなかったが昭和30年くらいまでは囲炉裏を炊いていたのだそうで、床がスノコ板のため広間の囲炉裏の煙が回って全体が煤けたわけである。電灯もなく地窓の外光が明かりの全てで、目を凝らして見ようとするが細部までよくわからない。残念ではあるが、後日の楽しみにとっておいてもよいと思った。それにしてもこの新家宅はプロポーションがよい。洞垣内さんの自宅より2階の立ちが低く、庇の出と7間半の間口寸法は同じであるが、屋根勾配は4寸とかなり緩勾配である。このため家全体が大地に張り付いて平行な感じがする。農村の暮らしが大地に平行であるということをそのまま形にしているのである。有名な建築家や名のある大工の作ではないこの新家宅は無類のプロポーションを誇っている。
民家は長い歴史の内にその中で行われてきた暮らしを「こと」にして「もの」に頼ることなく、これを伝承し美しく完成させてきた。これには気の遠くなるような長い時間の歴史、楽しいこと、苦しいこと、悲しいこと全てが織りなされた歴史があるのだと思う。その形としての民家は、「もの」のない時代に少ない自然の材料との対話と、自然と一体となった暮らしと考え方から美しく育て上げられたのだと思う。現代に我々がこれだけのものを造り上げることができるかと問われるとどうしても躊躇せざるを得ない。まだまだ勉強が足りないと痛感する。
終わりに
「もの」の無い時代に出来たこの美しいプロポーションは一体誰が造ったのか、どうしたら出来るのかしつこく問いただしたい気持ちだ。ただ残念なのは、これらの民家の生活に都会の生活が入り込み、我々が素晴らしいと感じるプロポーションや材質感、デザインも都会並みのそれに変わりつつある。暮らしの中から自然発生的に生まれてきた美しい民家は、都会化の波にもまれて消えていく運命にあるが、新家さんはこの建物の古い部分をそのまま大切に残していてその波に抵抗しているようである。
養蚕部屋をでて下に降りると「お茶を入れたからこちらに来て下さい」と新家さんの奥さんから声がかかる。一同居間の炬燵に招き入れられお茶をいただく。質問は沢山あった。まず黒光りする柱の秘密、どの様に増築、改築を繰り返して今の形になったのか、また、今どのような手入れをしているのか等々。聞きたいことは生活の細部についてなので初対面
であることからも質問は遠慮することにした。各自が思い思いの質問をしてけっこうな時間になった。
久しぶりに民家らしい民家を見た。ほんの一部ではあるが昔の名残としての民家を体験できた。生活の大半は昔のものではなく、現代の都会の生活とあまり大差はないものの、人そのもは昔と変わっていない。私が幼かった頃に育った田舎の人たちと同じなのである。
私が本当に求めているものはこれらの人たちとのコミュニケーションなのかもしれないと思った。
「自然な暮らしの家造り応援団」 報告者 松岡憲司
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